※ 『文芸春秋 2005.2月号』掲載

   第18回 「噺家伝」より抜粋

 ふわふわ〜。鯉昇が語りだすと地球の重力が心なしか減り、肩が軽くなる。
区役所の親切な戸籍係を思わせる穏やかな口調ととぼけた風貌に油断していると、旬のギャグで笑わせられ古典の世界へと連れ去られ、のどかなマイナスイオンに包まれる。

 だがここに至るまでは波乱万丈だった。

 生まれは温暖な浜松。映画好きの叔母の影響で時代劇ファンとなり、ラジオで落語好きとなり、学生時代には素人一座に入り、役者か芸人になりたいと思いつめた。

 「で、この一座の親劇団を手伝ってたのが師匠の(先代)小柳枝だったんです。」

 明大農学部に入ったのも芸人になるための口実。落研に入り、寄席通いをした。

 「正蔵(彦六)師匠が好きでしたし、志ん朝、談志、小三治はもう格別にすごかったんですね」

 とはいえ、正蔵には入門しなかった。
 「厳しい環境が苦手なんです、へへへ」

 温暖な環境を求めて小柳枝の門を叩いたはずが、師匠のしくじりの最中で大師匠柳橋の入門許可がなかなか出なかった。

「待機期間中に腐った豆腐を食べたら自律神経失調症になりましてね。『ちりとてちん』の熊さんのように腐った豆腐には七味をたっぷりかけるべきですね、ふふふ」

 入門後も御難は続く。前座の人数制限で寄席の楽屋に入れない。見かねた古今亭今輔が旅に連れ歩き、袴のたたみ方から教え、小遣いをくれたこともある。上下(かみしも)も目線も滅茶苦茶なのを見かねた三遊亭円弥が三ヶ月ほど特訓してくれたこともあった。

 「私の師匠はといえば酒でのしくじり続きで結局廃業。名古屋の寺に出家してしまったんですが、引越しを手伝ったら一緒に出家したと誤解されて、戻ったら私の籍がなくなっていた(笑)。でも『俺の知っている噺を全部お前に残す』と教わった八十席がいまや財産となっていますね。」

 師匠の意向で柳昇一門に移ったものの、『銭形金太郎』ばりの貧乏暮らし。 「皇居の土手でおかず用のタンポポを摘んでて職務質問されたり、身体に石鹸を塗って近所の学校のプールで泳いだり(笑)」

 そのせいか、結婚も大幅に遅れた。 「結納の日取りを報告したら、じゃあ披露宴はこの日にしろと柳昇師匠が言った日にちが結納より前(笑)。そばで聞いてた志ん朝師匠が『大変だね、君も』(笑)」

 大変だが、大変良くもあった。鯉昇一流のフラは柳昇から学んだものだからだ。
「柳昇師匠のふわふわっとした雰囲気はものすごい努力の賜物とわかった。それで僕も眼の力を抜くように心がけているんです」

今年から亭号を瀧川に変えたが、披露目などは特にしないという。

「先代の柳好師匠がよく言ってました。『腕さえよければ客のほうで気がつく』って。その影響ですよね」

瀧をふわふわ昇る鯉に注目せよ。

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